國學院大學の書道教育は、戦後
、文学部文学科の一員として、中学校国語科書写、高等学校芸術科書道の教員養成と文学を目指す学生の基礎力をつける目的で行われてきた。その流れは、高雅な仮名の作風で知られた羽田春埜先生に始まり、それを継承する木村東陽・中島司有両先生と、篆刻で独自の風格を開いた保多孝三先生が参加されて、その書学の幅が広がった。地味ではあるが堅実な指導により、多くの書道愛好家を育ててきた。時移り平成の世になり、和漢の文字に邃(ふか)い北川教授を迎えてからは、日の本の「文字の府」たらんとしてその歩みを続けている。
実技の内容は臨書が中心であるが、四年間で美しい篆・隷・楷・行・草・仮名の典型が書け、専門の書体字典を使いこなし、各体にわたり基本の文字が読める事を目標としてきた。書の展覧会活動は否定するものではないが、むしろ伝統的な書と、その周辺の物との関わりを尊び、書を好み書に遊ぶことを身につけてほしいと願っている。
さて昨今の書を取り巻く状況は、パソコン等の機器の普及により、毛筆離れが進み青色吐息ともいう有様。とはいえオープンカレッヂ等の、参加者の熱心な姿勢や、各県での高等学校の専攻学科の増設を聞くと、こんな時代だからこそ、古き好き伝統をしっかり伝えることの大切さを強く感じている。
若い人の中には、書道など古くさいもので、お稽古事であり、芸術書道は金がかかりそうだとか、学問とは別の世界だと思っている者も少くないようだ。はたしてそうだろうか。彼の国では六朝・唐代に「書学」という学校が定められ、文字学は漢の許慎以来の伝統がある。この国でも平安時代の第一の芸術は書であった。書学・文字学は古くて新しい、今なお必要とされている、そしてやってみると奥深く楽しい世界である。
たとえば考古学との接点でいうと、平成十二年、石川県の加茂遺跡から「加賀郡牓示札」が出土した。これには八項の禁制が記されており、朝廷からの命令が末端まで伝達する方式がわかるという重要な発見であった。この夏、その複元模写の作業を手伝ったが、なんと歴史の先生方は皆「苦」を「若」と読んで誤解していたのである。このように書を学んだ力が解読に役立つ事があるのである。 図をクリックすると大きな画像を見ることができます
〈 若は苦し 〉
牓示札の「飢饉の苦を致す」の「苦
」を「若」に読み、「此くの若き」と読んでいた。この二字は確かによく似ているが、筆順結構が明らかに異なり、書を学んだ者は何時でも注意しているものだ。 |
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