<美術史学会シンポジウム「言葉と形象」について>
谷川 渥
「エクフラーシス」や「ut pictura poesis(詩は絵のごとく)」といった古来の表現が示唆するように、絵画はつねに言葉との関係のもとに置かれてきました。絵画は言葉に囲まれ、言葉に支えられ、言葉に名指されながら、しかもまた言葉に反撥し、言葉に距離を置き、言葉を裏切ろうとしてきました。絵画と言葉は、この上なく密接な、とはいえ両義的というほかはない関係を取り結んできたといっていいでしょう。
「言葉と形象」は、それゆえ美術史的問題のすべてを覆う、きわめて包括的なタイトルというべきかもしれません。しかし、あえてこの包括的にして最も本質的なテーマを設定することで、美術史的な知の地平を浮かび上がらせることができたならと考える次第です。なお、ここで「形象」は、figure,picture,image,iconといろいろな英語に置き換えることのできる広い意味で用いられています。もちろん、これに日本的な「絵巻」を当てることもできます。多様な専門家の参加するこのシンポジウムにおいて、「形象」の驚くべき内実、その豊かさが明らかとなることでしょう。
シンポジウムの冒頭に、司会を担当する私が「絵画の自己言及性について」という題で導入部的な短い発表をさせていただきます。アメリカの批評家クレメント・グリーンバーグのいうモダニズム絵画の「自己批判性」を、もう少し広く「自己言及性」という概念で受け止めて、何点かの具体例に即してその「自己言及性」のありようを考察します。パノフスキーの図像解釈学の問題も採り上げられるでしょう。「言葉と形象」の一つの問題設定にほかなりません。
そしてケルト美術、中世キリスト教美術、日本の物語絵巻、をめぐって展開されるであろう多様な言説が、このシンポジウムを必ずや知的刺激に満ちたものにすることは間違いないでしょう。
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