近代—祓の制度化と大祓詞・中臣祓研究
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近代に政府による全国的な神社制度が定められるなか、祭祀制度についても古来のあり方を求めて改革が実行され、全国に共通する祭式が制定された。祓もまた、こうした祭式の統一化のなかで位置づけられるようになる。近世後期以来の国学者らの祓研究は、近代には成果が継承されたうえで学問の体系化や方法の精緻化が進展した。皇典講究所・國學院は、近代の神職の養成・教育といった課題に応えつつ、神道に関する学問の拠点として出版活動を含めた学問的営為を推し進めた。祓に関する研究・出版にも充実したものがあった。
A 大祓詞の研究と発信
明治4(1871)年6月、朝廷における「大祓」の儀式が復興され、翌5(1872)年6月にその式次第が制定された。「大祓」自体は各神社でも引き続き行われ、明治8(1875)年の式部寮達「神社祭式」では祭儀として明確に位置づけられた。同時期に展開された大教宣布運動では、説教の内容に大祓の意義も含まれ、神宮教院や教導職たちによる解説書が出版された。この運動の挫折に伴って設立された神道事務局では、その教育機関である生徒寮の教科書の一つとして『祝詞文例』が刊行された。近代の代表的国学者であり、生徒寮の教師でもあった久保季茲(文政13~明治19(1830~86)年)は『祝詞略解』を著わし、近世国学の祝詞研究の成果を明治に継承した。
明治15(1882)年、神道事務局生徒寮を基盤として創立された皇典講究所は、一貫して祝詞研究に力を入れた。祝詞の註釈・解説のほか、祝詞本文の校訂が行われ、その過程で「大祓詞」も研究された。皇典講究所は内務省より神官・神職の養成を委託されており、皇典講究所・國學院大學出版部を通して、神官資格試験のための参考書を多く刊行した。井上頼囶校閲・春山頼母著『訂正祝詞式講義』はその中の1冊である。また昭和6(1931)年には『延喜式』撰上1,000年を記念して『校訂延喜式』が刊行された。
関連資料
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B 『大祓詞註釈大成』の編纂
近代人文学が形成されてゆく過程で、神道・神祇に関わる出来事や思想の変遷についての歴史学的研究(神祇史・神道史)も進められた。その中で、大祓詞や中臣祓の研究も、山本信哉(明治6~昭和19(1873~1944)年)・河野省三(明治15~昭和38(1882~1963)年)・宮地直一(明治19~昭和24(1886~1949)年)らによって進められていった。
昭和前期には、金光教の佐藤範雄(安政3~昭和17(1857~1942)年)の喜寿を記念して、この3名によって大祓詞・中臣祓の儀礼や註釈に関わる諸文献をあつめて解題を付した『大祓詞註釈大成』全3冊(昭和10~16(1935~41)年)が編纂され、内外書籍より刊行された。これは、現在でも大祓詞・中臣祓研究を行う上で基本とされる資料集である。
内容は、第1類として16種類の大祓詞と中臣祓の諸本を収め、第2類として、65種の註釈書類を両部神道、伊勢神道、卜部神道(吉田神道)、吉川神道、垂加神道、復古神道、独立派に分類して収めている。この本文・註釈書の底本や対校本には、編者自身が所蔵していた文献も用いられた。河野や宮地の所蔵していた資料の多くは、現在、國學院大學に収蔵され、研究に利用されている。
國學院大學においては、昭和11(1936)年10月に「国体・神道に関する重要書籍展覧会」で河野省三所蔵の中臣祓関係文献の展示を行い、本学に関わった研究者が『大祓詞註釈大成』、『吉田叢書 中臣秡・中臣秡抄』、『神道大系 中臣祓註釈』を編纂するなど、その研究成果を世に問いつつ、現代にいたっている。
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