碑文
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表1<横書き 右より左> 殉教碑 贈少教正清水芳雄君
表2<縦書き> 君ハ天理教兵神大教會長清水由松氏ノ長男タリ 其ノ物ニ當リテ眞剣ナ<改行>ル性格ハ克ク助ケ一條ノ本教信仰ノ眞諦ヲ貫キ 其ノ事ニ當チテ謹厳ナ<改行>ル気象ハ克ク教祖雛型ノ道ヲ躬行ニ徹ス 時恰モ本教海外宣教ノ聲高ク<改行>天理教々廰ニ海外傳道部ノ新設セラルヽヤ 君選バレテ其ノ部員トナリ<改行>實直勤務ニ従事シ 更ニ率先シテ海外ニ活躍セントス■■念願一日モ歇<改行>ミ難ク 遂ニ其ノ請ヒヲ許サルヽ儘二昭和四年三月十日 挺身数千浬ノ<改行>波濤ヲ踰エ此處南洋ノ一孤島ニ上陸シ 爾来マルキヨクヲ中心トシ日夜<改行>附近ノ村々ヲ歴説シテ宣教ニ専念シ 君ガ足跡ノ印スル處常ニ島民達ノ<改行>敬慕ヲ一身ニ聚メツヽアリ■ト 然ルヲ何ゾ意ハ■ コロール滞在中偶<改行>々デング熱ニ冒サルヽ處トナリ 情シクモ七月廿六日午後四時廿三分不<改行>帰ノ客トナラントハ 君享年二十八歳 前途尚ホ春秋ニ富メル身ヲ以テ<改行>燃ユルガ如キ抱負ヲ胸中深ク蔵シテ此地ニテ逝キヌ 噫乎 悼シキ哉 <改行>然リト雖モ君ガ純眞ナル殉教ノ績ハ 本教南洋傳道史上ニ永遠ノ光輝ヲ<改行>留メタルモノト謂フベリ 亦以テ君ノ本懐タランカ 昭和七年四月廿日 天理教々廰海外傳道部第一部長山澤為次謹識 <■は磨耗により判読不能>
裏<縦書き> 昭和八年七月二十六日 天理教兵神大教會建之
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