慰霊と追悼

「慰霊と追悼」に関する研究資料

サイパン島 慰霊碑データベース

サイパン島慰霊碑
整理番号40
名称紫光学苑建立慰霊碑
碑銘暗黒を呪うよりも 一本一本のろうそくに 灯をともすがよい
慰霊対象
俗名
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慰霊対象
階級
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慰霊対象
出身
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慰霊対象
死没年月日
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建立者紫光学苑
建立年月日昭和63年(1988年)10月29日
建立場所バンザイクリフ
備考
画像サイパン島慰霊碑サイパン島慰霊碑サイパン島慰霊碑サイパン島慰霊碑サイパン島慰霊碑サイパン島慰霊碑
碑文
◆石碑1(中央):正面上部
<縦書き>
暗黒を
 呪うよりも
 一本一本の
ろうそくに
灯をともすが
   よい
 
紫光学苑 初代苑主
 川上盛山大先生御遺訓
   神の子
    〓島峻子謹書
 
◆石碑1(中央):正面下部
Better to light one candle
than to curse the darkness.
the words of Rev. Seizan Kawakami
 
◆石碑2(向かって右):正面
<縦書き>
 碑文に刻まれし言葉
 
暗黒を呪うよりも
一本一本のろうそくに
灯をともすがよい
 
   紫光学苑
    初代苑主 川上盛山師の言葉
 
 我等の決意と誓願、
   そして平和への祈り
 
「人間はすべて神の子である。」という信仰を我々
は持っている。人種、国籍等の一切の境をこえて、
全ての人類は、みんなひとしく神の子である。
 このサイパンで斗い、争い、傷つけ、殺しあった日本人、
アメリカ人、そしてまきぞえにされたサイパン原住の
人達、これらはすべて神の子であるのに、なぜこの
神の子どうしが傷つけあい、殺し合う悲劇が生じた
かを思う時、「すべての人は、ただひとつの神、"御親
の大神様"より生まれ来たりし、とうとき存在・・・」
なる事を自覚せず、またかかる真理を伝える真宗教
がなかった故の悲劇なり、と痛感されてならない。
 ここに我等は、かかる悲劇をふたたびくりかえ
させないためにも、"討ちし者も、討たれし者も、
同じ神より出でし神の子なり"の信仰に立ち、我等
ひとりびとりが「暗黒を照らす一本一本のろうそく」
となり、「闇を照らす一本一本のたいまつ」になろう、
と決意し、平和の誓願にもえて、ここに
「我れ神の子
 完全不壊の神の子
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 我がたましいは神のわけみたまなり
 ・・・・・・・・・。」
の祈りをなすものである。
   昭和六十三年
   一九八八 年 十月二十九日
   兵庫県姫路市四郷町東阿保二十七番地
  宗教法人 紫光学苑 苑主
           神の子 川上照彦
             神の子 一同
 
◆石碑3(向かって左):正面
<英文略>

 
◆解説板
川上照彦(紫光学苑三代苑主)がはじめてサイパン島に<改行>降り立ったのは1987年8月のこと。<改行>バンザイクリフで祈った際、断崖絶壁から身を投げて亡くなられた<改行>人たちの霊が、いまだ苦しんでいることを霊感したのだった。<改行>この出来事が1988年10月の、慰霊碑建立へと繋がったのである。
 
下記のデザインおよび配置は、川上照彦が霊達の想いを感じ<改行>とり表現した。その意匠は日本の農村に見る、なつかしい故郷<改行>の風景だった。
 
1988年10月29日 慰霊碑建立と第1回慰霊祭
2008年11月 8日 20周年慰霊祭(第22回慰霊祭)
 
20周年を記念して献花台(D)と、解説文(F)を建造する。<改行>あわせて第一回目からの参拝日と参拝者数を黒御影石の背面に<改行>記録していく。
<以下略>
「慰霊と追悼」 國學院大學 研究開発推進機構 研究開発推進センター