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慰霊と追悼研究会(第12回)シンポジウム「日本における霊魂観の変遷」

シンポジウム
「日本における霊魂観の変遷-「怨霊」と「英霊」をめぐって-」

研究開発推進センターシンポジウムポスター
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  • 開催日:
    平成20(2008)年2月16日 13時00分から18時00分
  • 場所:
    國學院大學渋谷キャンパス120周年記念2号館2302教室
  • 参加者:
    75名
  • 報告者等(敬称略):
    ○パネリスト
       山田雄司(三重大学人文学部准教授)
       武田秀章(國學院大學神道文化学部教授)
       今井昭彦(埼玉県立川本高等学校教諭)
    ○コメンテーター
       三土修平(東京理科大学理学部教授)
       中山郁(國學院大學研究開発推進センター講師)
    ○司会
       藤田大誠(國學院大學校史・学術資産研究センター助教)
  • 開催趣旨:
     近年、「人の霊を神として祀る」系譜の延長線上に位置付けられる近代以降の招魂社・靖國神社という神道的かつ国家的・公共的な慰霊・追悼・顕彰に対して、仏教的な思想に根を持つといわれる「怨親平等」観、或いは「怨霊」観に基づく敵味方供養を対置し「対抗軸」とすることによって、いわばもう一つの「日本的霊魂観」とみなす言説が隆盛となっている。しかし、本センター「慰霊と追悼研究会」でのこれまでの議論によって、そうした言説は両者の歴史を同じ俎上で総合的に詳細な検討を試みたものとは言い難いということが浮き彫りとなった。そこで本シンポジウムでは、日 本の霊魂観を通史的に検討することによって、この二つの霊魂観は、果して相容れない方向性として対置される性格のものなのか、または次元が異なる「並存」が可能なものなのか、さらには近世・幕末維新期以降に「怨霊」観から「英霊」観への重大な転換がなされたといえるのか、等について、日本の慰霊における「敵」と「味方」の問題をも勘案しながら、議論を深めたいと考える。
  • 会の概要:
    報告(1)
    山田雄司氏
    「怨霊と怨親平等との間」

     先ず、山田雄司氏は、日本において死者を神として祀る場合「怨霊」「顕彰」「慰霊」の三つの形態が挙げられるとした。そのうえで、中世までは「怨霊」に対して国家的な対応がなされていたものの、神の相対的な地位の低下をみた近世以降はそうした対応はなされなくなり、人神に対する「顕彰」が主流となったこと、「慰霊」は中世に「怨親平等」思想の展開とともに活発になったが、この思想は平和が続いた近世には見られず、近代に至り再び広まったと論じた。
    報告(2)
    武田秀章氏
    「神道史における崇祖・慰霊・顕彰」

     次に、武田秀章氏は、日本における人を神として祀る信仰の原点を、古代以来の祖神信仰に置いた上で、近代における招魂祭祀の直接の原点は、長州藩によって戦われた初の対外戦争である下関戦争の戦死者招魂祭(元治元年)にあると論じた。そして明治維新期における招魂祭祀の普及は、同じく民衆運動に支えられつつ長州によって作り上げられた国民軍システムと一組のものとして全国に普及したとして、このような草の根の民衆運動が後に靖国神社として結実したと論じた。
    報告(3)
    今井昭彦氏
    「近代における賊軍戦死者の祭祀-会津戊辰戦争を事例として-」

     今井昭彦氏は、戊辰戦役において「賊軍」とされた会津藩戦死者に対する祭祀の展開を整理したうえで、明治以降の各地で起こった反乱士族の慰霊との比較も踏まえ、靖国神社・護国神社への合祀が、政治的な力関係によって決定されているのではないかと述べた。
    コメント
     以上の報告に対して、コメンテーターの三土修平氏は、慰霊・顕彰・追悼の各観念とその祭祀のありかたについて、表を用いて整理したうえで、靖国神社の祭神は、各家庭では家のホトケとして存在しているが、神としては完結し得ない点に、いわゆる靖国神社問題の根があるのではないかと述べた。
     続いて中山郁氏から、「怨霊」や「怨親平等」の観念が、どの程度まで近世・近代と連続性を保っていたのか、さらには山田氏の「神の相対的な地位の低下」という指摘をうけ、中世・近世の神観念には具体的にどのような差があったのか、そして戊辰戦没者に対する慰霊と顕彰の観念は果たして明確に区別されるものなのか、などの質疑が出された。
    討議
     以上の各パネリストの報告と、コメンテーターによるコメントを受け、壇上およびフロアを交えた討議を行なった結果、先ず、怨親平等思想が、必ずしもダイレクトに近代まで伝統的なものとして続いていたものではないということが明らかにされた。さらに、こうした怨親平等思想に関する言説が、むしろ近現代において、ナショナルで個別的な枠組みを主体とする神道的慰霊・顕彰に対して、それを超克しようとするときに、普遍性をもつとされる仏教に意味を求める過程で再浮上したのではないか、また、慰霊・追悼・顕彰概念がどこまで歴史的現象のなかで有効性を持つのか、さらには日本や東アジア世界に展開する「供養」の伝統との相関など、今後の慰霊研究推進のために必須の論点が整理された。
    小括
     なお、本シンポジウムには学内外から75名が参加したが、今回の特徴として、専門の研究者以上に、通常のシンポジウムにはあまり見られない学部学生や社会人の参加が非常に多かったことが挙げられる。ことに、14名の学生参加者のうち、本学学部生は9人にのぼった。その多くは神道文化学部の学生である。これは近年「靖国問題」に関するマスコミから流される情報量の多さとの関連もあろうが、いずれにしろ、近現代の戦没者慰霊や靖国神社の問題に、本学学生が多大な関心を寄せていることが伺われる。と同時に、こうした社会性を有する問題に対し学術的に取り組み、社会や神社界に還元するという本センター主催シンポジウムの狙いはひとまず達成されたと考えるものである。
    (文責:中山 郁)
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