<南開大學キャンパス内の夜景> |
<宿舎となっている愛大会館> |
中国・南開大学セメスター留学、一ヶ月を終えて(9月の便り)
(学生からの便り)
中国では今日から国慶節の休みに入りました。日本を立ってからちょうど一ヶ月になります。中国語による授業、生活の場での中国人とのやりとりは大丈夫かという不安と、来て早々の帰心も相俟って、当初は四ヶ月という留学の期間に長さを感じたものの、こうして一ヶ月経ってみると、あと三ヶ月もないのかという思いがわいてきます。
そんな感慨はさておき、今回は来年セメスター留学を考えている中文一年生への参考を兼ね、中国語の授業の様子を少し詳しく報告したいと思います。
授業はかなりハードです。すべて中国語で行われるのは当然として、毎日(月曜〜金曜)8時の授業開始(遅刻は考課での減点および週末外出禁止のペナルティー)、毎日の宿題(予習を兼ねた練習冊1、2枚と日記─当然中国語でこれも成績の対象)、3〜4日に一度の小テストと続いたあと、都合3回の段階テスト(筆記と听力─リスニング)、最後は期末の総合テスト(筆記・听力、口語表現)で締めくくられます。出席・小テストプラス宿題・授業での発表(課堂表現)がそれぞれ10%、段階および期末テストの点数のウエイトが70%とし、それらを総合して60点以上を合格とし、単位が認定されます。授業で修得したことを実際使い、中国の人々の生活を体験することも行われ、それが語言実践(第一回は新世界ショッピングセンターにおける顧客・店員へのインタビュー)や石辛庄村農村見学です。
要するに、セメスター留学のカリキュラムは中国語の読み・書き・聴く・話す能力を総合的に高め、HSK(漢語水平考試、中国語のTOEIC)にも対応する内容になっています。このカリキュラムを考案した南開大学漢語言文化学院に対しては内外から高い評価が寄せられており、事実日本以外の世界各国からも多くの留学生が来ています(因みに天津の留学生は10万人にも及び、その何割かは漢語言文化学院への留学生です)。
現在、中国が「世界の工場」と言われるまで大きく発展を遂げる一方、その政治的・経済的動向が、各国に影響を与え、注視されるなかで中国語に対する関心も年々高まっています。それはスキルの面での関心にとどまらず、文学・哲学の研究の面でも、近現代の作品・論文は言うに及ばず、古典についても従来の漢文訓読中心から原文を中国語で読み、理解・鑑賞することを重視する方向に向かっていることにも現れています。
中国語に限らず語学でいちばん差がつくのは、第一にリスニング、第二に会話でしょう。実際今回のセメスター留学授業での聞き取りや、南開大学の学生との交流で既に進んだ展開を示している学生がいる一方、まだ不十分な学生も少なくありません。遺憾ながら筆者も後者のほうで、その面では不安もありますが、南開大学の学生の語学パートナー(筆者の場合二人で、一人は男性で完全に家庭教師、もう一人は女性で来年大学院進学を予定している日本文学専攻の学生で中国語・日本語を教え合う)との交流も深めながら、もう一歩上の段階をめざしたいと思います。そうすることが、こちらの先生方、引率され授業も担当しておられる浅野先生、本学の海外留学に長年携われ、今回の留学でも様々なサポートと助言をいただいている国際交流課の下山さん・戴さんのご期待とご苦労にも応えることになると考えています。
この報告を読んだ中文一年生は、「ずいぶんきつそうだな」と思われたかもしれません。確かに楽ではありませんし、遊び半ばでやり遂げられるものではありません。しかし、一緒に来た仲間との語らい、中国語が中国の学生や人々から聞き取れ、話しが通じた喜びは留学ならではものです。ぜひ今の一年生が来年のセメスター留学に積極的に応募されるようおすすめします。
大江歌うを罷め頭を埠東す
邃蜜なる群科世の窮りを済う
面壁十年壁を破らんと圖る
難酬蹈海するも亦た英雄ぞ
これは南開大学の卒業生、周恩来が日本留学を決意したときの詩です。「大江(長江)に向かって歌う(スローガンを繰り返すだけのむなしい政治運動)はやめ、東(日本)を志し、世の難局を救おう。万が一夢が実現しなかったら、海に飛び込んでも構わない。それが英雄だ。」明治30年(1904)、留日学生の革命風潮におびえた清国政府の要請に応えて日本政府が出した「清国人留学生取締規則」に憤激し、「絶命書」を残して大森海岸に自殺した陳天華を踏まえ、悲壮な決意を歌っています。私たちの留学はこれほどの決意ではありませんが、周恩来の母校に、しかも國學院大學中国文学科のセメスター留学の第一期生として参加したという意味を忘れることなく、残り三ヶ月を頑張る決意です。
(中国文学科二年・勝山記)
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<石辛庄村の人々と> |
<天津市内の古文化街> |
<誕生日会の催し> |
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