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 日本文学専攻  

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日本文学の世界 2001.12.25.掲載

青木 秋澤 池内 石川 岡田 傳馬 豊島 針本 松尾 山岡

タイトル!

  『万葉集』の中の国際交流

 

              執筆担当 上代文学 辰巳正明

  

   七世紀から八世紀が万葉集の時代です。推古(すいこ)天皇の時に聖徳太子が十七条の憲法を作り、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が大化改新により蘇我(そが)氏を滅ぼし、天武(てんむ)天皇は壬申(じんしん)の乱で新しい王朝を成立させ、持統(じとう)天皇は中国長安の都にならった藤原京を造営します。また文武(もんむ)天皇の時には大宝律令が施行されて律令社会に入り、元明(げんめい)天皇は奈良に平城京を造営し、奈良時代を迎えて『古事記』や『日本書紀』という歴史書が編さんされました。この古代の二世紀は、激動の時代ということが出来ます。こうした時代の変革の行われた背後には、古代日本の国際交流があり、積極的に外国の思想や文化を受け入れた結果でした。

 すでに古代日本には朝鮮半島の百済(くだら)の国から、中国で発明された漢字が渡来していました。七世紀から八世紀は、この漢字を利用して日本の歴史や文化を書き記すことが盛んに行われた時代です。当時はまだ平仮名も片仮名も発明されていませんでしたから、漢字を使って漢文の文章や日本語の文章を書いていたのです。それは外国文字や外国語でしたから、とても大変な苦労をしたことが知られます。それでもこの時代は漢字をさまざまに使いこなすことが出来るようになったことが知られます。

 そうした古代日本人の漢字学習の成果が、『万葉集』の中にたくさん見られます。

 たとえば、次のような漢字があります。みなさんは読めるでしょうか。

    (1)十六     (2)八十一    (3)馬声     (4)牛声

    (5)蜂音     (6)義之     (7)三向一伏   (8)山上復有山

    (9)喚犬追馬鏡  (10)馬声蜂音石花蜘■荒鹿(■は虫偏に厨)

 いかがでしたか。答えは最後に掲げておきました。これは漢字検定にも出ていない問題だと思います。『万葉集』の歌を書いた人たちは、とても知恵者だったと思われます。ひょっとすると、後の時代の私たちと知恵比べをしようとしたのかも知れませんね。

 今度は、実際に『万葉集』の歌を読んでみませんか。次に上げる例は『万葉集』の中でも最も短く表記されている、十文字だけの歌なのです。

  春 楊 葛 山 発 雲 立 坐 妹 念

 まるで漢詩のようにも見えますね。これは万葉集巻11・2453番の短歌です。短歌は五・七・五・七・七で出来ています。どのように読むのか、意味は何か、実際に『万葉集』のテキストを開けて調べてみてください。

 漢字は中国から朝鮮半島に入り、それから日本に入りました。そのことを考えると、『万葉集』の時代はとても国際的な時代だったといえます。聖徳太子の時代には遣隋使が派遣され、隋が滅んで唐の国が出来てからは遣唐使が派遣されました。『万葉集』の時代というのは、この遣唐使の時代でもあるのでした。むしろ、古代日本は国際交流の時代であったということです。若い人たちは留学生や留学僧となり荒波を越えて唐国へと向かったのです。そして、彼らは唐の国のさまざまな文物を日本にもたらしたのでした。

 そのような外国の文化を背景として多くの『万葉集』の歌が生まれたのです。意外と思われるかも知れませんが、額田王(ぬかたのおおきみ)柿本人麿(かきのもとのひとまろ)大伴旅人(おおとものたびびと)山上憶良(やまのうえのおくら)も、中国の文学を深く理解して独自の歌を詠んだのです。とくに、万葉集末期の天平文化の時代に大伴家持(おおとものやかもち)という歌人が登場します。家持は『万葉集』の編さんにも係わった歌人です。その家持の歌を通して、当時の『万葉集』がどのような国際性を持っていたかを見てみましょう。家持は、次のような歌を詠んでいます。

  春の苑 (くれなゐ)にほふ 桃の花 下照(したて)る道に 出で立つ少女(をとめ)

 春の庭園には紅色に輝く桃の花が満開に咲き誇っています。その桃の花の輝く下に美しい少女がたたずんでいるというのです。この当時、家持は越中(富山県)の国司(知事)をしていました。それでこの風景は越中の風土の中から生まれたとも考えられます。しかし、みなさんはこの風景をどこかで見たと思いませんか。そう、あの正倉院の宝物の中に「鳥毛立女屏風(とりげりゅうじょびょうぶ)」というのがあり、これは樹下美人図とも呼ばれています。教科書に掲載されたり、写真で紹介されることがあります。下の写真がその一部です。 

    正倉院御物(週間朝日百科「世界の文学 22 万葉集」より)

 まさに樹の下に美しい女性を配した絵です。

 これはペルシャなどの西アジアあるいはインドに源があり、 ブドウの木の下に女性が描かれます。ブドウは生命の木 で、その木の下の女性は生命を司る女神です。

 これがシルクロードを通って中国に入り、中国では桃の木 へと変化します。桃の木といえば崑崙(くんるん)の山と西王母(せいおうぼ)です。

 桃は邪を祓い永遠の命を与える果物、西王母はその山の 女神です。

 正倉院の樹下美人図は、西アジアの文化や中国の文化 の香りを伝えているのです。そうした文化の香りを、家持の 「春の苑」の歌から汲み取ることが出来ますね。生命の木で ある桃と、美しく咲く桃の花、そして、そこにたたずむ少女は 桃の花の妖精でしょう。とても幻想的な歌なのです。

 みなさんもこの家持の歌から西アジアや中国の香りをかぎ 取って、『万葉集』の時代の国際交流へと思いを馳せてみて ください。

 

答 (1)しし (2)くく (3)い (4)む (5)ぶ (6)てし (7)ころ (8)いづ (9)まそかがみ (10)いぶせくもあるか