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 日本文学専攻  

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日本文学の世界 2002.9.20.掲載

青木 秋澤 池内 石川 岡田 辰巳 豊島 針本 松尾 山岡

タイトル!

  名作の改変

 

           執筆担当  近代文学 傳馬義澄

  

  芥川龍之介の代表作「羅生門」は、「下人の行方は、誰も知らない。」という一文で結ばれていますが、この作品が最初に発表(「帝国文学」大正4年11月)された時には次のように結ばれていました。「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた。」と。が、この結びはその後、この作品が単行本『羅生門』(大正6年5月、阿蘭陀書房)に収められる時には「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急いでゐた。」と改められています。そして更に、作品集『新興文芸叢書第八編 鼻』(大正7年7月、春陽堂)に収められるときに芥川は再びこれに手を加え「下人の行方は、誰も知らない。」という、文庫本や教科書などで今日採用されている結びに改変したのでした。この改変のことは今日では最早周知の事実なのですが、雨を冒して、強盗を働きに京の町へ急ぐ下人を最初は描写しながら、それを「下人の行方は、誰も知らない。」と改変し、これを決定稿とした芥川に、いったいどのような意図が、どのような人間認識が働いたのでしょうか。芥川における小説の方法意識の問題もさることながら、芥川が人間をどのように観察し、認識したのか。「羅生門」末尾の改変はそのことについての尽きない関心を喚起し、検証への興味を限りなく駆りたてるのです。
 ちなみに、「羅生門」の草稿では主人公に「下人」という一般名詞ではなく「平六」という固有名詞が付けられていました。固有名詞から一般名詞へーそこにも作品の方法を越えた芥川の人間認識が明らかに作用していると思われるのですが、如何。
 作品の改変という問題についてもうひとつー。井伏鱒二の「山椒魚」は教科書などでも採られてよく知られている作品です。頭が岩屋につかえて出られなくなった山椒魚が、岩屋の外で自由に動きまわる小魚や小(えび)たちをうらやましがっていたある日、一匹の蛙がまぎれこんできます。そこで、山椒魚は自分の頭をコロップの栓にして蛙が外にでられないようにしてしまいます。が、一年が過ぎ、更に一年が過ぎたとき、山椒魚と蛙は静かに和解する、というのがそのあらましです。この作品は、昭和四年に発表されましたが、以来、一般の読者はこの作品について、個の閉塞と無為の風景を告知する名作として長く鑑賞してきたように思います。ところが、作者井伏鱒二は、この作品を昭和六十年刊行の『自選全集』に収めるに際して、末尾の山椒魚と蛙の和解部分を削除してしまうのです。長い間、『山椒魚』によって人生を築いてきた読者、たとえば野坂昭如氏などは即座に異議申し立て(「週刊朝日』昭和60年10月25日)をし、マスコミをも巻き込んだ議論が展開したことでした。作品は「読まれたということによって、読者の血肉と化している」、それをみだりに改変する権利が作者にあるのか、というわけです。
 作品の本文が作者の所有であるか、読者の所有であるかという問題は、言い換えれば作者の介入した本文の成立過程で、読者が本文を選ぶ自由をどこまで持ちうるかという問題でもあるわけですが、芥川の『羅生門』や井伏の『山椒魚』における本文改変の問題は、作品を〈読む〉という行為における作品と読者との最も普遍的かつ根源的な問題のひとつを、いみじくも提示していると思われます。さて、皆さんはどのように考えるでしょうか。