『西鶴名残の友』(1699年刊)の巻三の二に「元日の機嫌直し」の一編がある。話はこうだ。
京、室町通に店をもつ御所染の絹商人重好なるお人は、大の俳諧好きで、奥さんは、もと後水尾院の皇女につかえて、歌書の御文庫をあずかっていたという才色兼備の女性。ということになれば商売がうまくゆくはずがない。重好、俳諧と奥さんに夢中になっているうちに、やがて没落してしまうことに……。
そんな折のある夜の夢が気になった重好は、安部の清明に占ってもらったところ、江戸に下って励めば身代をとりもどせるといわれる。事実その通りになった。さてその正月、初夢の枕上に立った神のお告げは、「蔵の内にてなく声ぞする」という不吉なもの。 縁起かつぎの亭主は仰天し滅入ってしまう。困り果てた奥さんが、ちょうど年始に来た俳諧仲間の医者高崎玄札に、亭主の落込みをなんとかしてと泣きつく。と玄札、即座に先のお告げを前句に、「貧乏神大黒殿にたたかれて」と付句して、夢見になやむ亭主の気分を晴ればれとさせることに成功した、というのである。
末尾の付合い、一読すれば誰しもが〈犬つくば〉的なものを感じるはずだが、果たして 16世紀の『犬つくば集』に「蔵の隅にも泣く声ぞする/大黒に貧乏神のたたかれて」の付合いが見出せる。そればかりではない。この手の話題は当時の人びとの好むところで、先行する研究者が教えてくれるように、『鹿の巻筆』(1686年刊)や『百登瓢箪』(1701年刊)などの噺本にも類話がある。ただし、それらは付合いではなく、「大黒に貧乏神がたたかれて奧よりわっと泣いて出でける」「びんぼ神大こく殿に追出され今をかぎりとなきぞわかれて」など、一首の狂歌に仕立てられてしまっている。
もともと小咄というもの、時空を超えてどこへでも出現しうる魔性をそなえている。同様に小咄中の俳諧的な付合いも、なにくわぬ顔して狂歌に化けるという曲芸をやってのけるようだ。もっともこの場合、読み手に与える衝撃(?)は、付合いの方が強いであろうが。
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