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タイトル! |
誤伝のまま定着した子守歌 |
執筆担当 近世文学 須藤豊彦 |
江戸時代から伝わる子守歌は誰でも知っている。そう「ねんねんころりよ」のあれだ。あらためて言うまでもないが、短い歌詞だから記そう。 3.4行目と5.6行目はそれぞれが会話形式の問答体になっている。子守りッ子として肉親と離れて暮らす不遇な少女は、この歌を歌いながら懐かしい故郷を思ったのであろう。 西日本の山中に自生するマンサク科の常緑樹に、イス・ユス・ユシノキ・ユスノキなどと呼ばれる木がある。これを別にヒョンノキともヒョウノキともいう。その理由は、この木の厚い葉には昆虫が産卵・寄生するために異常発育した部分が嚢状になる。「虫こぶ」とか「ふし」といってこの木には特に多く付くということだ。普通は小ぶりの鶏卵の大きさで、中は空洞になっているから、小さい穴から吹くとひょうひょうと鳴るのでヒョウノキ・ヒョンノキの名で昔の子供たちには人気があったらしい。 江戸子守歌の「笙の笛」の正体は、どうやらこの「ヒョウの笛」だったようだ。庶民生活のなかに定着して歌い継がれて行く段階で、ヒョウがショウに転換したらしい。 ヒョンノキが東日本に殆どないことを思うと、この江戸時代の子守歌の出自を大雑把ながら西日本文化圏に限定できそうだ。「ヒョウの笛」を「ショウの笛」と言い間違えるあたりは、ヒとシの混同が激しい関東の人、とりわけ江戸ッ子にありがちなことである。ましてヒョウの笛など見たこともないのだから、意識的に改変した可能性さえある。 つまり西で生まれた歌が拡散して東に移り、誤伝がそのまま現在の歌詞に定着したと見ることは出来そうだ。そう見れば、音数を合せる必要上とも考えられるが「里のみやげに何もろた」の〈もろた〉は関西で多用される言葉なのだ。 |